中央大学学友会サッカー部 選手兼分析リーダー(現・ファジアーノ岡山) 野口竜彦選手インタビュー

2020.02.13 written by SPLYZA Inc.

数々のJリーガーを輩出する名門、中央大学学友会サッカー部。関東1部リーグに復帰した今季はリーグ戦5位、インカレ準決勝進出という好成績を納めました。そのチームで2度の大怪我に見舞われ選手としてのプレーが困難になった中で"分析リーダー"としてチームを支え、大学卒業後はファジアーノ岡山でJリーガーとしての戦いに挑む野口竜彦選手に、大学で行なっていた分析についてお話を伺いました。


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ー最後のインカレでは学生コーチとしてトップチームの采配もされていましたね。中央大学の分析リーダーというのはどんな役割だったのですか?

野口選手
ヘッドコーチと2人で相談しながら戦術を考える役割でした。試合中の意思決定に関しても率先して名乗り出たりして。僕自身、大怪我が続いていてプレーでチームに貢献できていなかったんですが、同世代ということもあり選手達とはスムーズにコミュニケーションをとれていました。そういった部分も評価してもらえて、チーム内で重要な役割を与えてくれたのかなと思っています。中央大学の監督、そしてコーチには大変感謝しています。



ーいつ頃から分析をするようになったのですか?

野口選手
大学では2年生の頃から分析をやり始めていたのですが、3年生になってから毎週プロの試合を分析して、映像を切り貼りしてプレゼン資料を作って、最新の戦術など自分が学んだことをチーム内で発表していました。

元々「分析や戦術が好き」というよりは「試合に勝つ手段として分析や戦術は必要」という考えを持っていて、勝つためには相手のウィークポイントを調べつくし、こっちがストロングを出すことが重要で、そのためにしっかり分析して、チームとしての戦術が必要ということをチームで共有したかったんです。

高校時代から友人と一緒にチャンピオンズリーグの試合を見たり、本を読んだりして戦術の勉強はしていました。当時グアルディオラ監督に密着した書籍の「キミにすべてを語ろう」を読んで以降、バイブルになっています。トップレベルの選手や監督は、普段からあんなに深く考えてサッカーに向き合っているんだということを知って衝撃でした。


ー高校の時から分析などには取り組んでいたんですね。

野口選手
そうですね。ただ高校(前橋育英)では分析や戦術より、最も学んだのはマインドセットだと思います。いわゆる「試合への臨み方」「勝負事に行く姿勢」ですね。前橋育英はそういう勝ちへのこだわり、勝ち続ける姿勢、準備段階のことをよく言っていたなと。大会が近づくとピリついて締まった感じになるし、セットプレーの練習もしっかり戦わなきゃいけない。例えば、当時はセットプレーでやられるパターンが多かったので、守備の形をコンパクトにするなど実践的な練習を徹底して行っていました。

その中で自分も勝つことを求めていたし、点を取らないと上に行けないと思って、FWとして点を取ることに執着していました。当時はファン・ペルシーのゴール集をよく見ていたので、マンU時代のゴールは全部覚えています。そのおかげかどうかは判らないですが、2年生の時に出場した選手権の決勝戦で良いイメージで同点ゴールを決めることができました。個人的に取り組んでいたイメージトレーニングが実を結んだ瞬間だったと覚えています。


ー高校以前はどんなプレーヤーだったのですか?

野口選手
中学までは地元のクラブでプレーしていて、1対1の練習をよくやるチームで個人技のドリブルの基本を学びました。その時はドリブルがめちゃくちゃ好きで、小中学生の時はよく個人技を磨いていましたね。あとはViva futbolというスペインのYoutubeチャンネルもよく見ていました。音楽や映像がかっこよくて、そこで観たプレーを良く真似していました。



ー各年代で色々な学びを得ていたのですね。分析を行なっていた大学時代について、もう少し詳しく聞かせてもらえますか?

野口選手
僕が中央大学に入ったときは、関東1部から2部に降格した年だったからか、チーム内の雰囲気があまり良くない印象を持ちました。ただ、所属していたメンバーはすごかったんです。古橋亨梧さん(現・ヴィッセル神戸)、翁長聖さん(現・大宮アルディージャ)、矢島輝一さん(現・FC東京)などJリーグに行ったメンバーが多かった。メンツは揃っていたのに、関東2部で5位でした。そのメンバーなのになぜかそうなってしまったのだろう?と、そこにかなり違和感がありました。当時1年生で運営には関わっていなかったんですけど、1試合に対する準備やモチベージョン、ピッチ上での振る舞いなどはまだまだ改善できそうだなと感じていました。

高校時代は、選手権の初戦に対して監督が何時間も準備して、その次の対戦相手も予想して備えていました。高校の時はそういったルーティンが常だったんですが、当時の大学にはそれがなかったんです。

その後、自分が2年の時に当時のキャプテンが組織改革で様々な役職を作って、全員がチームにコミットできる環境を作ったんです。その中で自分は個人的に対戦相手の分析をしてノートにまとめて、キャプテンに「明日はこう行きましょう」とプレゼンしていました。その時の成績は3位で1部には上がれなかったんですが、自分が3年の時にはそのチームも成熟してきてようやく1部に復帰できました。

4年生で分析リーダーになって、自チームと相手チームの分析を始めたんですが、プレーしながら両方をやるには時間もかかるということで、SPLYZA Teamsを導入して効率的にやっていこうということになりました。



ー具体的にはどのような分析をされていたのですか?

野口選手
自チームの分析は、シーズン当初にヘッドコーチからゲームモデルを説明してもらって、それを基準に分析していました。中央大学のゲームモデルは4-3-3でグアルディオラのやり方に似ていて、自分はグアルディオラが好きである程度知識もあったので、なぜ幅を取るのか?なぜウィングはずっと張っているのか?といった論理的な部分は説明できました。

SPLYZA Teamsはそのゲームモデルが機能したかどうか?を見る目的で使っていました。シーズンが始まる前には、自分たちのやり方を作っていく段階で映像を振り返る。リーグ戦に入ったら「相手がこうくるからこうやろう」というのを試合でやってみてそれを映像でチェック。しっかり分析して、この試合はこうチャレンジしたけどダメだった…といった内容を評価して、改善のために練習していました。

自チーム分析は担当者が5名いたので、週末の試合に対して各々で手分けしてタグを付けて、水曜夜に集まって気になったシーン、やろうとしたことが出来たシーン、出来なかったシーンを集めて木曜夜の全体ミーティングに備えていました。その場で"全体MTG用"のタグをもとにみんなに発表して、じゃあどの部分をチーム全体で共有すべきか?などを分析スタッフ間で相談するんです。


ー映像を使ったチーム作りが行われていたのですね。ただ戦術に関しては相手によって通用するしないがありそうですが、その辺りはどうされていましたか?

野口選手
リーグ戦は開幕2連勝で良いスタートを切れたんですがそこから勝てなくなりました。東洋大学との試合から通用しなくなって、筑波、順天、駒沢、桐蔭、明治と5月から8月まで6戦勝ちなし。ただ、その次の立正大学戦で5バックを採用して以降、チームの悪い流れが一変しました。

ずっと勝てない試合が続いていて、明治大学との試合で0-4で負けてしまって…だいぶ心が折れた状態で、次の立正大学との試合はどうするか?となっていました。その時期「前に出てやられるなら、5バックにして守りたい」という声が出始めていました。ちょうどその時に「ポジショナルプレーのすべて」を書かれたライターの結城康平さんが何かの記事で5バックのことに言及していて、そこでは「コンテの3バックもポジショナルプレーだ」と仰っていました。

自分としてはそれを読んで「なるほど。こんな作戦もあるのか!」となったんです。立正大学は3-4-3でクロスからの得点が多くて、5バックはハマるのでは?と考えて、早速チームにプレゼンしました。そのときは守備の話しかしなかったんですが、自陣でのプレーだけでなく、敵陣でのプレッシングに関して考えてくれる選手も現れて、結果物凄くハマりました。それで勝てたと言っても過言ではないです。守備をテーマに臨んだ試合でしたが決して守備偏重になった訳でもなく、試合内容も満足できるものでした。



ーそれは素晴らしいですね。それ以降は相手に合わせてやり方を変えられるようになったと。

野口選手
そうですね。立正大学戦以降は少しずつ内容が上向いて、チームとしてもかなり柔軟に対応できるようになっていました。初めは5バックに慣れていなかった部分もあったのですが、10月の筑波大学戦で試合中に4バックから5バックに変えて、それがハマって相手の攻撃を止めたというのも自信になりました。そして、それまでに仕込んでいた"新しいビルドアップのやり方"もその試合で機能し始めました。


ーそこからは連勝ですね。

野口選手
チームとしてどんな相手にでも対応できるようにはなっていましたが、もちろん相手も我々を分析しているので、予想していた事と違うことをやってくる。賢い選手は試合の中で嫌なポジショニングやプレーをしてくるので、その都度修正点を伝えてというやり方を徹底していました。


ーインカレでも試合中にシステム変更で流れを掴んでいましたね。

野口選手
リーグ戦で経験したことを活かして戦えたと思います。自分たちのゲームモデル、そして基本フォーメーションである4-3-3の弱点となる部分を相手が突いてくれば、システムを変えてそこを抑えつつこちらの強みを出せるような試合運びはできました。良い選手は揃っていたので、力勝負でも上に行けるとは思っていました。

最後の試合となった準決勝の桐蔭大学戦では、相手は完成度の高い4-4-2で、自分としては作戦が立てづらいという難しさを感じていました。前半は押されていましたが、後半は悪かった部分をうまく修正できて、攻勢に出て同点に持ち込んで「これは行ける!」と浮き足立ってしまい、最後に失点して負けてしまいましたが。


ーシーズンの中で成長していった過程が伺えて面白いです。チームとしての経験が溜まっていって「こういう時はこうする」というのが明確になっていったように感じます。

野口選手
そうですね。自分は心理学専攻なんですが、心理学の「記憶」という分野の先生の授業で「記憶は昔のイメージだが、未来の記憶もあって展望的記憶。それは例えば、薬局に行って薬を買うということを考える。それを然るべきタイミングで思い出し、然るべきタイミングで行動しないと薬は買えない」と聞いて「先生、それサッカーです!」となりましたね(笑)

サッカーも似ていて、記憶が溜まっていくと、徐々に「こうなる」という未来が見えてくる。でもそれを実行するタイミングが大事。展望的記憶と現実が重なって、守備はハメられるし、攻撃も相手の予想のタイミングをずらしたりするな…と、そう思ったんです。



ー心理学とサッカーがつながったのですね。

野口選手
中央大学のプレーヤーにもピッチ上での記憶が蓄積されていて、そこから対処法が出てきて、またそれも破られて、これも蓄積されて、また対処法ができてくる。こういうメモリが溜まった人がチームには必要だと思いますし、今までの映像や分析した内容がアプリ内にデータベースとして蓄積されていくのはチームにとっても財産ですね。


ー最後に、今季からファジアーノ岡山でプロの選手としてプレーされますが、今思い描いていることを聞かせてください。

野口選手
中央大学ではゲームモデルを基に、次の試合に向けて対戦相手の分析などの準備→試合での実践→改善のサイクルを上手く回せていました。これは個人にも当てはまると思います。

大学では分析結果をプレゼンする必要もあり、責任感を持ってやっていました。大学で学んだことをプロのピッチでも活かすために、自分自身の分析にも力を入れたいと思います。あと、大学時代は大怪我でプレーできない期間も長かったのですが、それでもプロのレベルで通用するという所も見せたいですね。

ファジアーノ岡山では前線の選手として、どのポジションでも対応できるよう、常に頭でイメージしながらトレーニングに取り組んで行こうと思います。


ーJリーガーとしてのご活躍、期待しています。本日はありがとうございました。