自主性と主体性の違いとは?

2021.07.08 written by Ryusuke Makishima(SPLYZA Inc.)

近年、教育やスポーツの育成の現場における指導方針は大きく変わりつつあります。従来、教師が教壇に立ち、生徒は一生懸命ノートを取り試験のために勉強をする講義型だった教育の現場は「アクティブラーニング」や「主体的・対話的で深い学び」による”生きる力”を養うことが目的となりました。そしてスポーツの育成現場でも監督・スタッフの指示に選手たちが従う「トップダウン」から、子どもたちが自ら考え意思決定を行い、指導者に提案をしていく「ボトムアップ」という手法が広がってきています。

このような変化に伴い、生徒や選手達に求められているのが「自主性」と「主体性」という2つの力。どちらも自分で考えて動くというニュアンスではあるものの、生徒や選手に言葉を伝える立場としては、意味を理解し使い分けるほうがいいように思います。

辞書(大辞林)では下記のように定義づけされています。こちらの2つの言葉の違いとして明記されているのは「意思」と「責任」の有無になります。



自主性とは?

自主性は「決められたテーマや行動に対して、率先して動ける力」です。指導者をしていた頃の話で言うと、トレーニング中のデモンステレーションを行う際に「誰かやってくれる人?」という問いに対して率先して出てきてくれるような選手が「自主性」のある選手と言えます。新入生や新人が成長するのに必要なスキルかと思います。

この力を養うために理解しておきたいことは、与えられた選択肢から生徒が行動をとった場合、結果的に間違っていた/失敗した時の責任は”与えた側”にあるということです。失敗した相手に対して「なぜできないのか?」と詰め寄るのではなく、与えた側はまずその選択肢がそもそも正しい方法だったのか、改善の余地はないのかを考えなければなりません。そののち、行動をした生徒に対して「何がいけなかったか/次はどうしたらいいか」と問いかけるのがベターでしょう。

主体性とは?

主体性は「現状を把握したうえでゴールまでの道筋を具体的に考えられる力」です。指導者に指摘される前に、選手同士で改善に向けた議論ができることや、試合結果や失敗体験などを受けて選手自らが振り返り、次はどうすればいいかを考えて今後の練習や試合に活かそうとする選手が主体性のある選手であると言えるでしょう。これは上級生やリーダーになる人に必要なスキルかと思います。

自主的に動けるようになった生徒達がより成長していくために、この「主体的」に動くことはとても重要です。自主的に多くの行動を起こし、トライ&エラーを繰り返せるようになれば、「自分で考えてやってみよう」と思考をステップアップさせる事が可能になります。自分で考えた行動だからこそ、結果に責任を持たせることができるのです。



改めて考える、大人や指導者の存在意義

生徒や選手が自ら思考する場合は失敗や躓きは付き物です。そこでいかにうまく導けるかが、これからの指導者に求められる力だと思います。線引きが難しいところではありますが、全てを生徒に任せるのは放任になってしいます。当然、生徒が出した意見に対して、全てを肯定・否定するのもよろしくないでしょう。

では、どこまで指導者が関わるべきなのか。それは「気づきを与える」こと、それに加えて「心理的安全性」を確保することだと私は思います。簡単に言えば、失敗した時やうまくいかない時に「なぜ?」と「どうする?」を問いかけ、答えが出たら「やってみよう」と後押しすることです。

大人は子供の中に眠っている”無限の可能性”を引き出してあげる、身近なサポート役であって然るべきです。最低限の環境さえ整えばすくすくと自然に育つ樹木のように、周囲の大人が必要な環境を彼らに整えてあげる事で、自然と子供たちは自ら考え、今何をすべきかを理解し、ゴールに向かって行動していけるような自主性や主体性が身に付いていくことでしょう。

プロフィール:槙島隆介(Ryusuke Makishima) セールス/関西エリア担当

滝川第二高校・関西学院大学出身。卒業後は近江高校で指導者としてサッカーに携わってきました。スポーツ界がもっと盛り上がるように活動していきたいです。現在は土日休みの生活を満喫中。

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